平成元年に設立したクラブを振り返り。
福島体育館嘱託職員の頃、放課後福島成蹊女子高校音体部のコーチを受け、第三中(永林先生)・成蹊女高(作田先生)・福女高(加藤先生)・梁川高校(田中先生)、その頃、県北体操協会の小野先生のお力添えでジュニア大会の開催に至り細やかな御支援を戴きました。そこにも大きな愛がありました。
県北地区で初めて新体操のジュニアクラブを更に力添えいただいたのは、県北体操協会会長の斎藤宏先生)会津の阿部 貢先生・立川先生は学生時代から継続してお世話を戴きました。
現在の公的ユニフォームは、その時福島県体操協会の田中善六会長(クラロンスポーツ)で制作して戴き続けています。クラブトレーナーの背面画は(細田先輩)、マークは(当時蓬莱中学校の宗像先生の同僚先生)作です。これらのご恩を忘れる事なく引き続き活用させていただいています。
開設した当初から母校国士舘大学(朝倉先生)の応援を戴き、当時学生であった荒川先生(奇しくも第1期会員と同期)とのご縁も継続し、岩手・青森と就職先の教え子さんの賛助出演を戴きました。水戸章・梢に大きな力を戴きましたのも、この御縁なくしては適わぬことだと思います。 恩師朝倉先生には、日本に新体操を導入してくださった第一人者の東京女子体育大学(加茂先生)に、お引き合わせ戴いたご縁は、クラブの至る所で力添えいただいています。平成7年の福島国体での選手の開花(肥沼美樹)に続き、東京女子体育大学への進学し、水戸梢に続き指導者としての磨きを掛けていただきました。
インターハイ・国体への常時参加の時期は、ジュニアクラブとして、全日本クラブ連盟の登録チームとして、海外研修(ロシア・ベラルーシ・ブルガリア)へ参加させていただきました。ブルガリアのネシカ・ロべバ先生からの心の教育に繋がる新体操の学びには感銘しました。
その成果は、各地区から集まった小学生が、附属中学校に集結した時には、全国中体連(顧問;笠原先生;コーチ藏本あんな)の関りを以て4位入賞を成し遂げました。それのみならずその練習環境を与えて頂けた、あづま体育館勤務中でした北村先生の存在も、成果の源だと確信しています。
男子は、国体等から離れた時期もありましたが、しっかりした心の教育の上にある青森山田高校男子新体操部の受け入れのお陰で、岳陽中学校から進学した(柴田翔平)に続き、全日本ジュニアでは優勝の(平野中学校)籠島 遼・(荒井小学校)から進学した赤羽拓海の頑張りは、いつも応援できる立場を持ち続ける事ができました。これも感謝以外ありません。
伝えたい事と伝えきれる力が、年々伴わなくなって居ますが、「一人では生きてはいけない。」「顔と顔を見合わせ、心と心を通わせて人同士互いに想い合う事で感謝が生まれ、人として生かされてくる。」と思っている事を何とかする為に、育ち・育てる場所として活用して戴ける様、会えるご縁を大切に、美しい体と心磨きに共に過ごしたいと思います
福島新体操クラブ 代表 水戸眞由子